目標を決めてそれに向かって進むのが嫌いだ。たぶん目標を言葉にしてその題目に自己投企するのが嫌なのだろう。巨視的な道筋を決めてそれに沿って進むより、微視的に意義ありげなことをずっとしているほうが好きである。それでは大事は成し遂げられないというかもしれないが、大事には興味がない。

ただ、微視的に目先をほじくり返していては、ひとつも形が現れないおそれがある。そこで枠を切る。切った枠の中を散漫にでもずっと掘り返していれば、枠の中のどこかは深く掘り返されて、暖かみさえ帯びるだろう。

この枠の形が人にとってわかりやすいとそれは専門と呼ばれるが、世界には地脈が巡っているので、人には関連がわからない飛び地をいくつも持つこともできる。枠の切り方は人にはわからないほうがたのしいかもしれない。