ドレスデン行きの理由

なんでドレスデンに行くのか、よく聞かれる。

まず、証明士という職業を作りたいとか言っていたら、既にformal method engineerという職名で募集をかけられて、どうもやることがまともそうなので、負けを認めて軍門に下る。

地理

ドレスデンには路面電車がある。ドレスデンの路面電車は編成も長くて、路線もたくさんある。人口50万人程度の都市なのに、総延長130kmもの路線があるのだ。路面電車で暮らせてしまう。階段を上り下りしなくていいぶん、大都市の鉄道よりも楽かも知れない。ちなみに運転免許は取ったけれども、間違いが多めの人間なので、できる限り自動車の運転は避けたい。

文化

ドイツで暮らした日本人の本をみると、わりと自分には暮らしやすそうな気がする。理屈っぽい、たいへんよろしい。個人をやらないといけないのは、まあ練習だと思おう。

2012年頃

自分が書いたものをみていると、どうも、2012年の春ごろに、将来のことをながなが考えていたようすがある。たとえば、立花隆がどこかの本で、ジャーナリストとしての活動方法として、みはらしがいいところに立っておもしろそうなところを見つけたら寄っていって掘るということを繰り返すのだという趣旨のことを書いていたのを思いだしていた。みはらしのいいところに行ったら今度は面白そうなところに飛びつくぞと思っていた節がある。

それから、2012年5月1日に、このように書いている。「日本のふつうの人が海外にほいほい出かけられる時代というのは、あと何年もつかわからんが、案外すぐに終わってしまうものであろうという気がしておるので、どっか外に根を下ろすのもよかろう」。当時の気持ちを思いだすとだいぶ真面目に書いたようだが、今となっては、いるべきところの決め方がこう大雑把ではいけなくて、もっと局所的にどういう人となにをするのか見ないといけないと思う。ただし、日本がどうのとかいう話を気にするときに、動きまわれるようにしておくのは一つの作戦だ。

やはり同じような時期に、「人生から情報量をたくさん取り出すには先が見えないことをするといい」と書いた。これに従うのは、いまでは、どうかと思う。つまり、いろとりどりの不幸につっこんでいくよりも、単調な幸福のほうがよい。ホワイトノイズに浸るのが一番いいかというと、それも違う(ホワイトノイズの各試行の違いが分かって感興を覚える人なら、いいのかもしれないけど)。毎日びっくりするのが望みかというと、それは違う気がする。このへんは、もっと考えてから、また別に書こう。

結局のところ

Ellery Queenの推理小説を一階述語論理式に書き起こそうとして時間をつぶしていた変な小学生が長じて、演繹して暮らしたい、記号列が動くなんて楽しい時代だ、ソフトウェアについて演繹して暮らすのだ、と、わがままを言い出し、このわがままが叶う世の中になるとするとどんな具合に進むのかなあと考えて、それに沿って進んでみている。

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